lalala sunshine

〜慶應文学部を通信教育過程で卒業しました〜

「太陽と月に背いて」


桜花の季節。青空とのコントラストが美しい…♪( ´▽`)

最近、「19世紀フランス文学」のテキストを読んでてめちゃ心を奪われることがあった。アルチュール・ランボーポール・ヴェルレーヌの男色放浪事件。そもそも今年はエリザベートレ・ミゼラブルと両方の舞台が行われるので、学問的な知識をもう少しいれてみようかと思って読み始めたんだけど、それが思いの外面白かった。もともと18世紀〜19世紀のフランス、そして欧州の歴史的な事柄はとても好きなので、すーっと頭に入ってくることもあって読みふけってしまった。そしてこの男色事件に出くわした。

彼らは詩人なので、言い換えれば言葉を操る芸術家となる。詩を解さない私ではあるけれど、ランボーの詩を読んでみた。そして正直、私には何が良いのか、何が違うのか、さっぱりわからなかった。けど同じ詩人・芸術家同士であればそこに存在する感性、センスみたいなものがはっきりとわかるんだろうと思う。そしてこれがまさしく、ランボーヴェルレーヌ、そしてヴェルレーヌの妻との関係ではないかと。ランボーヴェルレーヌは感性で分かり合っているけど、ヴェルレーヌと妻の間にはそれがない。あるのは一市民として家族を形成して生活を営むパートナーとしての絆。そこに感情がないかというとそうも言い切れないと思うけど、ランボーの方によりソウルメイト的な絆を感じていただろうことは想像がつく。

この男色事件をググってみたら、映画化されてた。レオナルド・ディカプリオがでてる「太陽と月に背いて」、あー、あったあったと思った。若かった私は男同士の関係?気持ちわるいとしか感じなくて見ることはなかった。実在した詩人の事実を描いた話だったとは。今回鑑賞してみて、もちろん色はついてると思うけど、おおよその筋はきちんと述べられてるんじゃないかと思った。彼らの研究をしているわけじゃないからあまり細かいところはわからないけど。それにしてもレオはやっぱ若い時が美しいな〜。最近はとっつあん坊やみたいだし。

テキストを読んでて思ったのは、私は文学的な作品自体よりも、作家の方により興味を惹かれるようだ。今回何人かの作家のバイオグラフィーを読んでみて、どこか壊滅的で繊細である人が多いように思った。妻の他に愛人をもつなんて当たり前のこと、娼館出入りや梅毒を病む人も多いように思った。王家の面々とはまた別の意味で、どこか常人とは異なる感性をもつ人々の人生をたどることはなかなか興味深い。