lalala sunshine

〜慶應文学部を通信教育過程で卒業しました〜

The Truth is Out There!

大学入学以後、いわゆる「言語としての英語」の勉強はついついおろそかになってしまっています。大学でも単位を取得するための英語の勉強はするのですが、やはりインタースクールなんかとは勉強量が違う。さすがに英語力落ちていくの怖いなぁとか思っていた折、友人の紹介でこの夏から結構ハードに勉強する英語サークルに入れていただきました。ただ、通常のレポや科目試験に加えて夏以降のスクーリングの予定が詰まっており、10月の時点まではあまりきちんと通えていません。うぅぅ・・・。(サークルの皆様スミマセンm(_ _;)m ゴメン!!)

ただ、この9月からリーディング、そして、ライティングの英語のスクがインテンシブで約3か月間にわたり行われています。そして、先日記事にもしたとおり、リーディングは実り多いスクーリングとなりました。スク終了後からある言葉について考えていました。講義中に読んだ、キャサリンマンスフィールドの"The Little Girl"に出てくる、主人公のお父さんの台詞にあった、以下の一文にでてくる言葉です。

"Mother, go and see if my paper is out there―and bring me my slippers."

講義中、この"there"は、「今ここではないどこか」という意味で、直前にある "out"があることで、"there"を強めているという説明を受けました。それを聞いて思い出したことがあります。昔よく見ていたXファイルというドラマに、"The Truth is Out There"という言葉が出てくるのですが、当時思っていた「真実は外にある」という訳出が、今回の講義を受けて微妙に変化したのです。「(ただ一つの)真実は、(今ここではない)どこかにある」。今はこんな風に訳すかな。わかっているつもりが、きちんとわかっていないってこと多いです。

これまでの経験上、外国語で何かを読む際に一番わかりやすいのは、新聞記事や論文など、事実を淡々と述べる文ではないかと感じています。このような書き物は、文体も大体が固い言葉―いわゆるラテン語やフランス語を語源とする言葉―を使っているし、あいまいな言い回しは避ける傾向があるように思うからです。逆に、日常的に話される言葉や文学なんかは、いわゆるアングロサクソン語で表現することが多いように思います。例えば、go, take, get, etc...といった中学1年生くらいで習う単語です。これらの違いは、日本語だと、漢語と和語(大和言葉)の違いでしょうか?しかしこのアングロサクソン語、中学校で習うくらいなので簡単で覚えやすいのですが、きちんと意図するところを表現しようとしたら、非常に覚えにくい言葉であるように思います。つまり、アングロサクソン語+前置詞の、いわゆる句動詞(phrasal verb)です。

一例を挙げると、comeという動詞、さまざまな前置詞とくっついて、実に多様な句動詞となっています。come around, come at, come away....また、例えばcome atのように、1.<事実・真理など>を見つける、2.<人・動物が><人>に襲い掛かるetc.と、一つの句動詞で多様な意味を持っているものもあります。come一つをとっても、くっつける前置詞で意味がまったく異なってしまうんですから、私を含め、やはり大多数の日本人は句動詞を苦手とするのではないかと思います。

そんなことを考えつつ、"The Truth is Out There".今回のスクで、昔考えていた、「真実は外にある」よりもずっと深い意味合いを持っていたのだと知って、少し得した気分になりましたo(*^▽^*)o~♪