lalala sunshine

〜慶應文学部を通信教育過程で卒業しました〜

Mサンデル先生の講義を聞きながら

家で夕食を食べるときはひとりなので何だか寂しいということもあり、最近はyoutubeにある、マイケル・サンデル先生のハーバードでの講義を聞きながら食べたりしています。料理中はもちろん、食事中もきちんと画面を見ることはできないためほとんど聞き流し(どっかの英語教材の宣伝みたいだw)になるのですが、ちょっと感じることがあったので少し記事にしてみたいと思います。

ハーバードで行われた(ている?)正義についての講義は、大きな講堂で教授対学生の対話型・討論型で進められます。アメリカの大学の講義がすべてこのような形で行われるのかどうかはわからないのですが、こういった対話型の講義はある意味とても英語圏らしい講義であるなと思います。あるトピックに対して、"how do you think?"、そしてそれに続く"why do you think so?"―この一連の流れには、「あなたも当然自分の意見があることでしょう。そしてそれには必ず理由があるはずです」という前提がどこかにあるように思えます。当然のことながら、話を進めるうちに、ある人物の意見に対してpros/cons (for or against) という形で討論が進むこともあります。詰め込み型・記憶型の日本の教育ではそんなに見られない光景かもしれません。

ここ数年、小学校の英語導入についてかなり色々喧々諤々あったようですね。もっと小さな子供に英語を教える教室も雨後の竹の子のようにできています。小さな子供のころから英語を習うことを否定はしないのですが、少しくらい英語をかじったくらいでネイティブ並みに英語を操ることができるかと言ったら否だと思います。子供の頃ちょっとお教室へ通ったくらいで、将来的に英字新聞や論文・ビジネス記事が読め、書けるようになるとは思えないのです。もしも子供が主体性を持って英語をやりたいというなら別の話かもしれませんがー。小さな子供の興味はクルクル変わるはずなので、そういったことは少ないように思います。

最近の大学生の就活求人を見てみると、採用条件に英語力が加わっていますね。確かに世界が繋がらないと生きていけない時代なので、共通語としての英語の大事さはわかります。でももし国際人を目指すならば、英語の文法や語彙が増えても、肝心の「自分の意見」がなければ通用しないのではないかと思うのです。何が何でも自我を通すということではなくて、自分にも意見がある。相手にも意見がある。それが折り合わなければ解決策を模索する。そういう風にしてお互いの理解も深まっていくだろうし、そういう風にして培った友情はたとえ異文化を持つ人間同士であっても続いていくと思うのですが。。。

それにしてもこのサンデル先生の講義は中々面白い。しばらくは夕食の友になりそうです(*´∇`*)