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〜慶應文学部を通信教育過程で卒業しました〜

バイリンガリズム一考【英語7に関連して】〜その1

慶應通信を始めた理由の1つに、これまでon and offで続けてきた「語学」としての英語の勉強ではなく、「学問」としての言語学や英語学というものをきちんと勉強してみたいという気持ちがあった。当然大学での「語学」としての必修外国語も英語を選択し、そのうちスクR&W以外の単位は既に充足しているが、テキストの内容が専門としたい分野と重なる「英語7」のテキストはやはりやらなければと思い、レポ及びテキスト通読をしてみた。

最近では楽天の社内公用語が英語になったなどというニュースもあったが、社会の国際化に伴ってか、我が国の英語熱はますますヒートアップしているように見える。世に出回っている英語習得に関する書籍や教材も何万冊になるだろう。おそらく、ここまでの情熱を持って他国の言語である「英語」の習得を追求する国は他にはないのではないだろうか?などと思う。

インテリア・デザインの勉強のため英国に留学した際、「英語だけは完璧にして帰国する!」という人がいたが、そもそも、"外国語を完璧にマスターする"なんていうことが本当に可能なのか疑問を感じていた。ただ、自分自身、英国まで来たからには少しでも英語は上達して帰らなければという、半ば強迫観念のような気持ちもあって、metroのfree paperをせっせと貰って帰り、わからないながらも辞書を片手に読み漁ったりしていた。

当時は電子辞書を持っておらず、オックスフォードの分厚い英英辞典をメインに使用していたが、そのうち段々と、"漢字を忘れる"、"日本語の言い回しが微妙におかしくなる"などという本末転倒な事態に陥り始めた。英語も中途半端であるから始末が悪い。恥ずかしい限りであった。

「英語7」のテキストは、オランダ人女性のEveline de Jongによる , The Bilingual Experience: A Book for Parents (Cambridge University Press, 1986)からの収録である。はしがきにもあるように、このテキストは「いわゆる専門家がアカデミックな見地から、二言語併用の問題を論じた書物ではない」。読み進めると様々な立場の人々が登場するが、登場者全員に共通しているのは、親たちもその子供たちも"二つの言語を操らなければならない"、もしくは"操ることが出来る"環境にいるということである。

よく、英語を話す国に住めば自然に英語も習得できると考える人がいる。しかし実際には、英語圏に何年住んでもうまく英語を操れない日本人が存在することを知らなかったりする。また、理系の博士課程の人に、「僕も英語ネイティブの彼女がいたら英語がペラペラになれるのに」といわれたことがあるが、これも大きな勘違いだろう。「英語7」にも類似した一文が出てくるが、配偶者等が自分の英語を矯正してくれるなどという過大な期待は持たないほうがいいと思う。もちろん日常生活に必要な言葉はわかるようになるだろうが、院生の彼が求める英語力―すなわち、英語の文献が読める、英語でプレゼンテーションができる―ということは、別次元の話である。仮に配偶者が英語ネイティブで、通訳ができるなどの英語に達者な人がいたとすると、それはその人ががんばって勉強したからであるだろう。