lalala sunshine

〜慶應文学部を通信教育過程で卒業しました〜

「社会学」と少子化について一考

社会学のテキストは、トニー・ブレア元首相のブレーンであった、アンソニー・ギデンズ氏の分厚い著書を使用する。テキストを見てまず思ったのは、社会学という学問の幅の広さ。個人というミクロなレベルから社会構造というマクロなレベルまで、かなりの広範囲を取り扱う。また、心理学や歴史学なんかも絡んできたり、統計的な知識も必要な盛りだくさんな学問という印象である。今回レポートを書くにあたって得た指示は、「各セクションの末にある課題から1問選び、それについて考察する」というもの。考えた末、「家族と親密な関係性」の章について書いてみることにした。

うすうす気づいていたことではあるが、恋愛から長期に及ぶパートナーや家族関係に至る―いわゆる恋愛結婚―は、世界中でも西洋をはじめとする工業先進国の現象であるということ。洋の東西を問わず、歴史的には、結婚とは家の財産を守り子孫にそれを伝えていくための制度であるという認識だった。21世紀の現在においても、アジアをはじめとする多くの国では、妙齢になると、両親等により夫や妻を決められ、結婚し、子供を育て、一生を終える。それが当たり前であり、そこに自分の意思が介在することはない。あてがわれた夫や妻と深い愛情関係を結ぶ場合もあるだろうが、男女間の愛情などというものは知らずに一生を終えることも多い。

少子・高齢化が常に話題に上るように、わが国ではますます未婚化が進んでいる。原因として、女性の高学歴化や有職率の増大、はたまた、サービス産業の成長なんかがあげられたりする。でも、独り者の視点としてはいまいちしっくりこないななんて思っていたら、少し古いが面白い論文を見つけた。伊藤秀章「未婚化に影響する心理学的諸要因」(社会心理学研究、第12巻第3号、1997年)。目を引いたのが、「親や知人の結婚の幸福度に対する知覚」―要するに自分の周りの人々の結婚が不幸である場合は、結婚に対する意思が低くなる―というものである。確かにそういう側面もあって、あんなつらそうな生活をするくらいなら、ひとりで気ままに生きようと考えるのも一理ある。また、親の結婚が不幸な場合、必然的に、自分も同じ道を歩むのではないかという根拠のない思い込みがあったりする。その一方で、親しい友人の幸せそうな結婚を見れば、自分も幸せな結婚を望むということもありうる。要するに、恋愛結婚が9割を超える現在、そして、結婚が個人の意思を伴う以上、少子化対策をしようにもお役所が絡むことはできないということである。

自由意志による結婚が当たり前になってしまった以上、(少なくとも一般庶民の間では)家同士の結婚が増えるということはないのではないか。それにより、少子化がこのまま進んでいくのか、それとも歯止めがかかるのかは神のみぞ知るっていうところか?(そういう自分自身の結婚も神のみぞ知るって感じですが・・・。)