lalala sunshine

〜慶應文学部を通信教育過程で卒業しました〜

変化


秋の空…♪( ´θ`)ノ

第2回目の卒論指導の時期となりました。科目試験での受験数もめっきり減り、次のレポートの締めとカレンダーとのにらめっこに費やす心理的な圧迫感もなくなった昨今。まぁ、実質的にはここ1年、もしかしたらもう少し前から試験は1科目しか受けていないので、そんなにカリカリもしてこなかったんだけれど…(^^;;

仕事と大学の勉強の2足(いや実際にはもっとだろなぁ…)のわらじを履く生活も6年目。仕事の変化、私生活の変化、様々な変化があるけれど、最近は大学生となって学んできたことでの自分自身の“変化”を感じるようになった。学歴について考えてみると、海外に留学したことはあれど専門学校程度の証書しかないし、それ以上に言葉の壁もあって十分に学べたとはいえなかったからどこか不完全燃焼で、学んできたことが自分自身の糧となったかと問われるとYesとは言い切れないところもあった。結局日本では高卒+α程度の教養しかなかったということなんだろうと思う。でもここ最近、どこか引け目を感じたり、コンプレックスを感じていた高学歴―学部卒だけではなく修士や博士取得者―の人たちとアカデミックなことを交えた会話で談笑している自分がいることに気づいた。それはきっとこの5年半、大学で様々なことを勉強してきて、それなりに自分の中の引き出しにあれやこれやと知識が詰まってきているからなのだろうと思う。そしてその知識の引き出しをもとに、毎日起こる何かしらの出来事について自分なりに考えることができるようになってきたことなんだろうと思う。

この“変化”を考えるとき、「もうすでに社会人として生活できているのに今更わざわざ大学で勉強?」みたいな考え方がアホらしくなる。人間はいくつになっても変化するのだ。もちろん、悪い方向の場合もあるだろうけど、こと大学で学ぶことに関しては“良い方向”にしか変わらないと思う。先日講師派遣会に参加させていただいて、先生の目線での大学の話を聞かせていただき、この大学が良くも悪くも保守的であることを知った。しかし逆に言えばだからこそ、専門学校的な知識ではなく王道の“学問”ができるのだということを理解した。その時この大学で学べていることに、この上ない光栄と嬉しさを感じた。また通信という制度にも関わらず、幸いにも同じ大学で同じように仕事を持ちながら学問をしている学友に沢山出会えている。これは本当にありがたいことだとおもった。

今年は卒論指導に入り、徐々に研究に一直線になりつつあるけれど、可能であれば卒業する最後の最後まで何かしら別の科目にも触れたいなと思う。そしてそれがまた自分の引き出しに入ってほしいなと思ったりする♪( ´▽`)