lalala sunshine

〜慶應文学部を通信教育過程で卒業しました〜

人としての誇り

おかげさまで、今年の年末年始休暇はきっちり1週間お休みをいただくことができたため、DVDを10枚程・・・見逃した作品に加えて、過去にすでに視聴していて又見たいなと思った映画も借りました。久しぶりに視聴したそれらの作品のうち、特に以下の2本―1本は95年、もう1本はその10年ほど後の作品―から少し感じたことがあったので、それについて少し書いてみたい。

ブラッド・ダイアモンド アフリカ大陸にあるシエラレオネの紛争ダイヤモンドのお話。ある映画評論によると、こういった業界の実情を(もちろん全部ではないけれど)それなりに見せるというのはすごいことだとか。確かに世の中、特に一般人は、知らない方が良いこともありますものね。それはおいておいて、今回私が注目したのが、密輸人役:L.ディカプリオの心の変化です。自らが置かれた環境からか他人を安易に信用しないし、また、自分の中に受け入れることもない。Lonerでありそれを苦にもしていない。人は生まれつき善なのか、それとも悪なのかと問われると、人は人でしかないと答える。それは厳しい人生を送ってきた彼の本心だと思う。大きなお金に化けるピンクのダイヤモンドに執着し、自分の懐に入れるために人の気持ちさえも利用して手に入れようとするものの、自分は死ぬのだと悟った時、執着していたダイヤを発見者である漁師に返す。私利私欲しか頭の中になかったただの「人」が、その瞬間「善」となってこの世を去ることになる。

デットマン・ウォーキング こちらは殺人を犯した男の死刑執行までの数日間の物語。修道女の書いたノンフィクションらしいですね。はじめて見たときに、"Deadman walking!!"という台詞に愕然としたことを覚えています。ショーン・ペン演じるいわゆる堅気でない男は、お約束どおり恵まれない子供時代を経て、道を踏み外したまま生きてきた。見栄と欲と自分のことしか頭に無い人間が、死を目前として人を思う心を学んで死んでいく。この人物の場合はスーザン・サランドン演じる修道女の助けがあって学んだ部分も大きいと思うが、それでも罪を認め、愛を知った後にこの世を去っていくのである。この物語で私が注目したのは、やはりS.ペンの心の変化でした。

私は無宗教だけど、西洋では性善説よりも性悪説が一般的のように、自分を差し置いてまで他人に尽くすなどということはやはり胡散臭いと思ってしまうし、置かれた環境によっては容易に悪になりうるのが人間だと思う。ところが、世の中には、利他の心があふれる人というのが存在するのもまた事実である。そういう人物にあったとき、どうしたらそんなに大きな心を持てるのか感動するとともに、とても真似できない自分がとても小さく見える。そして、これらの映画に出てきた人物のように、ただの人間であり、死の直前に精々「善」を学ぶだけなのだろう自分が情けなく感じたりする。でも悲観することは無いのだろう。それが人間であって、最後の最後で善になれただけでも、人としての誇りをもって生を全うできたということなのだろうから。。。