lalala sunshine

〜慶應文学部を通信教育過程で卒業しました〜

著名人を祖先にもつこと

前回のレポ締め切りに併せて「日米比較文化論」に着手してみました。理由は、日は傾き始めているように見えるものの、いまだ世界の覇権は米国が握っている―米国なしには世界は語れないのが現状―とう考えがあるからです。というわけで同科目はタイトルに惹かれてやったんですが、ふたを開けてみれば、どちらかというと歴史的な側面の強い科目でした。まずテキストがペリー来航時の国内の様子を記録したような書籍(?)だったし。

歴史についていけないなと思うのは、自らの知識に非常に偏りがあるということです。その昔、18-19世紀のヨーロッパの歴史にはまって、関連本なんかは読み倒したりしているのですが、肝心の自国の歴史については結構疎いところが。。。(>_<)とはいえ、歴史って、何を勉強するにも重要な要で、それを知らなければ物事の真実を知ることはできない側面があることは事実!ということで、今回は日本の開国についてきちんと勉強しておくことにしました。

さて、今回テキストとして読むことになった江戸末期・明治時代のわが国の様子に加えて、レポ執筆に当たっては小泉八雲についても勉強しなければなりませんでした。わたしくの読書の傾向としてはノンフィクションを好むところがあるため、正直、著名な作家の作品であっても国語の授業で読まなければ読んだことがないことが多いのですが、今回に限っては2ヶ月前の大阪スクで偶然にも八雲を読んでいた!なんだか今年は小泉八雲に縁があるなぁと思いつつ彼のエッセイを読みました。

今回、資料を読み流していて知ったのは、小泉八雲がものすごい千里眼の持ち主であったということ。日本人の描写が的確であるといわれるルース・ベネディクトの『菊と刀』は、文献のみで研究して得た知識であり、その参考文献の中に八雲の日本論も含まれていたというのです。八雲の文献なしでは『菊と刀』は完成しなかったかもしれないのだ!それくらい重要な文献を書いた八雲の物を見る目の確かさはどこから来るものなのか。アイルランド人の父とギリシア人の母(異なる文化の両親)を持っているからか。はたまた、生涯にわたっていろんなところを転々とし、様々な職業をもって、波のある人生を送っていたからか。(余談だが、一度などは自分の書きたいものを書くために生活の糧とするためにレストランを開業したものの、パートナーに売上金を持ち逃げされて閉店するという災難にも見舞われているらしい)それとも、片目が見えないというハンディを背負っていたからか(目が見えない方が、いろいろなものが見えるらしいので)。いや月並みだけれど、これら全部がもともとの彼の資質に加えて影響していることは間違いないだろう。

そんな八雲の子孫が、現代日本に存在していることをはじめて知った。小泉凡氏。小泉凡 - Wikipedia民俗学者をしていらっしゃるようで、島根県立大学短期大学部教授であり、また、小泉八雲記念館の顧問でもある。ご専門は曽祖父である小泉八雲ラフカディオ・ハーン)の民俗学的研究やケルト口承文化研究などらしい。自分の先祖の研究をするというのはどういう気持ちなのだろうか。ふとした拍子に、血のつながりを感じたりということもあるかもしれないな・・・。祖先を知ることで自分を知る。それもまた自分探しの一面なのかもしれないなぁと思った今回のレポート作成。。。