lalala sunshine

〜慶應文学部を通信教育過程で卒業しました〜

哲学を哲学してみる

総合科目の人文科学枠の一つに選んだ"哲学"。この4月に行われた試験には合格したものの、レポートがしっかり不合格で帰ってまいりましたp(・・,*) グスン。再提出の締め切りは9月のため、なんとか夏スク前に提出しておこうと細々と着手を始めましたが、やはりこの科目、一番古く、かつ、ベースとなる学問だからか、かなり手強い!テキストを読んでいてもどうも何を言ってるのか分からない、しっくり来ない部分が所々ありまして。まぁ、凡人の理解って結局そういうことなんだろうなと思ったりもするのですが(*^m^*) しかし、そもそも「哲学する」って根本的にどういうことなんでしょうか?

広辞苑によれば、哲学とは「(1)古代ギリシアでは学問一般を意味し、近代における諸科学の分化・独立によって、新カント派・論理実証主義現象学など諸科学の基礎づけを目ざす学問、生の哲学実存主義など世界・人生の根本原理を追求する学問となる。認識論・倫理学存在論などを部門として含む。(2)俗に、経験などから築き上げた人生観・世界観、また、全体を貫く基本的な考え方」。o(´^`)o ウ- ざっくりとはわかるような気はしますが、○○論という言葉になってくると、果たしてどこまで理解しているのか微妙です・・・。

では、歴代の偉人はどのようなことを言っていたのでしょうか?有名なデカルトを見てみます。ルネ・デカルトは、16世紀フランスの自然哲学者・数学者。「我思う、ゆえに我あり」という一文が有名です。この、「我思う、ゆえに我あり」はなんかとても分かりやすい気がします。自分とは何か?と考えると、物理的に、この顔の、この体型の、この名前のetc...そういうことも言えるんだけど、そういうのってちょっとしたことで変わってしまうかもしれない。ぽっちゃりした人って思っていたら、半年後にスリムな人になっているとか。痴ほう症とか健忘症の人は、自分の名前を言われてもそれが自分だとはわからなかったりするかもしれないし。ところが、自分の頭の中で考えていることは、まぎれもなく自分にしか分からず、ほかにすり替えようがない。という意味では考えているこの人物は、自分以外の何物でもないってことなのだろうな。本家の解釈とはかなりかけ離れてるかもですがww

昨年夏スクで取った心理学で、心はどこにありますか?っていう先生の質問に対し、"脳"にあると思っている学生が多かったことを記憶しています。かくいう私もそう思っていますが、脳で思うことをなぜ心臓で感じるのかは本当に不思議です。ものすごいショックを受けた時にナイフが突き刺さるように感じるのは、頭の中にある脳ではなく心臓の方です。ものすごく好きな人に会う時にドキドキするのも脳ではなく心臓・・・。人間の体っていったいどうなっているのだろうと、ほんと神秘を感じたりします(ёロё)ホエー!!

翻って、哲学のレポート。なんとか今度は合格したいんですが、レポ課題と違う方向に想像が広がっているこの状態で大丈夫なんでしょうかねぇ・・・ゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ
なんとかがんばろうっと♪