lalala sunshine

〜慶應文学部を通信教育過程で卒業しました〜

自分の頭で考えるということ

気がつくと、社会人と大学生という二重生活をおくり始めて2年以上が過ぎた。とにかく仕事以外でもスケジュール帳とにらめっこし、時間に追われる生活を送っているし、もっと他に大事なこと、やらなければならないこともたくさんあることはある。

"社会に出てから大学で学ぶということは何を意味するのだろうか?"と思うことがある。すでに会社でそれなりの仕事についている方もいるだろうし、それなりのお給料を得ている方もいるだろう。その場合、なにもわざわざ自分を縛り付けるような勉強をすることはないのではないかと思ったりもする。

もちろん、MBA取得される方に見るように、仕事上に必要な勉強をするために大学/大学院に戻るケースは一般的な理由だろう。あるいは、転職に生かすために大学の学位を得たいという場合もあるだろうし、それ以上に"大学学位を得ること"自体が目的となることもある。そして、自己弁護ではないが、それも大学で学ぶ立派な意義であると思う。私自身、大学入学の理由は将来の転職のためがメインではあった。しかし、今の大学を卒業できれば、心のどこかに抱えている学歴コンプレックスなどは吹き飛ばすことができる。転職に備えるための学歴取得に加えて学歴コンプレックスをやっつけるという付加価値がつくのである。すばらしいではないか〜♪このように、学位取得自体もまた、大学から得る大きな付加価値となりうるのである。

ところが、それらの付加価値は表向きのもので、実は本当の意義は"考える習慣、調べる習慣を自分の中に植え付ける"ことなのではないかと思ったりする。自己啓発本を読むだけでは身につくことがないかもしれない習慣を最短4年の大学生活で身に着けることができるのである。情報氾濫社会の現代、重要なものからとりとめもないものまで、様々な情報がインターネットを初めとする媒介を通して蔓延しており、時にその見極めが難しいこともある。その中で本当に必要な情報を見極めるには、自分で調べ、自分の頭で考えるしかない。

レポートを書くために、答えを探して自分で調べ、自分で考える。古代ギリシャの人々のようにゆっくりと考えている時間はないが、その一連の作業を通して、答えがだんだんとそれなりに明確になっていく。そして、自分の中に様々な情報と自信をインプットする。これは自分自身の大きな財産となるだろう。やっとそろそろ折り返し地点に達した今、そう信じて、この先も自分の背中を押してがんばっていこうと思う(*´∇`*)