lalala sunshine

〜慶應文学部を通信教育過程で卒業しました〜

重みのある言葉

日経朝刊の裏面に載っている、「わたしの履歴書」。3月の担当は建築家の安藤忠雄氏だった。亡き父の仕事が建築がらみであり、また、私自身かつて英国のカレッジでインテリア・デザインを勉強した関係もあって、建築周辺に纏わることは好きである。
安藤氏は大学ではなく独学で建築を勉強したという苦労人だ。人生で紆余曲折を経た彼だからこそ発することができる重みのある意見を述べられる。本日2011年3月31日は、安藤氏の最後の"履歴書"であった。最終回に相応しく彼の人生哲学を含みながら祖国への思いが綴られており、非常に感銘を受けた。長文ではあるが以下に引用させていただこうと思う。

「国際社会で先頭を切って走ってきた日本は今、存在感を失い、国際化の波に乗れず、将来像がつかめない。教育は画一的で、政治には信念がない。そこに大震災が起こった。人間の力のすべてを打ちのめすほどの地震津波が我々を襲った。自然の猛威にただ唖然とたたずむ。こういう時こそ、一人ひとりが自分に何ができるのかを問わねばならない。日本人は歴史上2度の奇跡を起こした。そして今再び奇跡を起こし、何としても日本を復活させなければならない。

本来、日本人には素晴らしい国民性がある。自身の経験からみても土木・建築の技術力や、スケジュール・品質・安全衛生の管理能力は世界のトップレベル。他の分野でも繊細で緻密、探究心が強く勤勉な民族として海外から高く評価されてきた。過去の奇跡の一つは明治維新のとき、幕藩体制から近代国家を一気につくったこと。その素地は300を超える諸藩の教育体制だ。現在の一律な教育制度とは異なり、藩ごとの特色が打ち出され、学ぶ人の目的と個性を考慮した教育が行われた。熱意ある柔軟な教育が生み出した人材が新しい時代の扉をこじ開けた。第2の奇跡は敗戦後、数十年の間に復興し世界有数の経済国にまで発展したことだ。廃墟と化した地で大人たちが寝食を忘れて働き、子どもたちが元気に目を輝かせる姿を見て、海外から訪れた人々は「この国は必ず復活する」と口をそろえたという。

しかし、「経済大国」といわれ始めた1969年ごろから、実直な国民性が色あせてゆく。私が仕事を始めたのもちょうどこのころだ。70年の三島由紀夫防衛庁占拠・割腹事件は、今思えば、以降の日本の凋落を暗示する警鐘だったのかもしれない。人々は考えなくなり、闘わなくなった。経済的な豊かさだけを求め、生活文化の本当の豊かさを忘れてしまった。未来を担う子どもたちは親の敷いたレールの上を走るのに精いっぱいで、想像力を養うための貴重な時間を失っている。本来、子どもは友達と自由に、自然と戯れながら遊ぶ中で好奇心を育み、感性を磨き、挑戦する勇気や責任感を養う。今、子どもたちは過保護に育てられ、自分で考える体験が絶対的に不足しており、緊張感も判断力も、自立心もないまま成人し、社会を支える立場に立つ。正しい価値観で物事を決めることができず、国際社会で立ち遅れている今の日本と、子どもの教育を取り巻く状況は決して無関係ではない。

私は自分で生きる力を身につけなければならないという思いを人一倍強く持ってきた。だから、自分の意思が希薄で、人と直接ぶつかり合おうとしない、芯の弱い今の若者や子どもをみていると、日本の将来に強い危惧の念を覚える。人間性を育む教育を行い、自分なりの価値観をもつ「自立した個人」をつくり、家族や地域への愛情をもった日本人の国民性を回復しなければ、未来は見えてこない。

フランスの詩人ポール・クローデルは同じく詩人で友人のポール・ヴァレリーに「私はこの民族だけは滅びてほしくないと願う民族がある。それは日本民族だ」と話したという。その日本は存亡の危機にある。今こそ第3の奇跡を起こすべく、日本は真に変わらなければならない。」

何事でも大きな仕事をなす人物は、やはり根底に一本筋の通ったものの考え方をするものだと改めて思う。そして厳しい言葉の裏側にも大きな愛情を感じる。

余談だが、彼の設計した"光の教会"の実物が見てみたくて訪れたことがあるが、貸切で何かの行事をされていて外からしか見れず残念な思いをした。次回はぜひ中から見てみたいものである。(*゜▽゜)*。_。)*゜▽゜)*。_。)ウンウン