lalala sunshine

〜慶應文学部を通信教育過程で卒業しました〜

ベスビオ火山噴火にみた人間の想い

突如として自然が人間に牙をむくときがある。そしてその牙は、現代的・文化的な生活をしている人々にとってより深刻な被害をもたらすように思える。東北にしろ、神戸にしろ、地震津波が起こった後の光景というのは、実際にそれが起こる時点まで、誰の脳裏にもよぎることがない光景であっただろう。"その時"がくる直前まで笑いあっていたとしても、その笑顔も一瞬で凍りつくことになるんだろう。

西暦79年8月24日、イタリア南部のナポリ近郊にあるベスビオ火山が噴火した。その南東10キロに位置するポンペイの町は、活気にあふれ、人生を謳歌する人々で大変賑やかだったそうだ。しかし、火山が牙をむいたその瞬間、人々の顔は凍りついたに違いない。

今では「ポンペイの遺跡」として、多くの観光客が訪れるポンペイの町は、その後の発掘により当時の繁栄の様子が驚くほど鮮明に明らかになった。町はきちんと区画され、住居、劇場、公衆浴場、下水道も完備するという現代さながらの生活であったという。ところが、ベスビオ火山が噴火したことで、その享楽的な生活の様子は一瞬にして灰の下に埋もれてしまった・・・ρ(-.-、)以下、NHKの世界遺産100から少し引用する。

そうした平和な日々は、ベスピオ山の大噴火によって、一瞬にして奪われてしまいます。逃げ遅れた人々は 吹きつけた高熱のガスで窒息死し、その上に灰が降り積もりました。灰は硬く固まり、肉体が朽ちて空洞が残りました。研究者たちは、その空洞に石膏を流し込み、死の瞬間の姿を浮かび上がらせたのです。それは、家の中で身を寄せ合う家族、最後まで子どもに寄り添う母親、互いをかばい合うように抱き合う恋人などの姿でした。石膏の人型は、一瞬にして平和な日々を奪われたポンペイ市民の悲劇を伝えています。ポンペイ遺跡は、はかない人間の宿命を物語る世界遺産でもあるのです。

繁栄を謳歌したポンペイの人々は、突然来た最期の瞬間に、大切な人々とお互いをかばいあいながら死んでいった。その光景はもちろん悲劇ではあるのだが、一番大切な人と心を通わせ、お互いをいたわりあいながら最期を迎えたことは、ある意味幸せなことのようにも思える。そのような人々の想いは、自然の牙には壊すことができなかった・・・。
翻って、自分自身を考える。もし次の瞬間に自然が牙を向いたなら、一体何を思うのだろうか?そう考えると、悔いの残る生き方をしてはいけないと再認識するのです(*´∇`*)